楽譜の宣伝&博士論文裏話

オンライン楽譜ショップ「ミュッセ」に、僕がピアノソロに編曲した、フランクのオルガン作品とオーケストラ作品を置いていただいています!(予定含む)

↓ラインナップ↓(それぞれ販売ページへのリンクになっています)
アンダンティーノFWV25
英雄的小品FWV37
交響的小品FWV24-No.26
交響的大曲FWV29
交響曲(準備中)

この編曲は、博士論文のメインとなったもの。部分的に運指を書き足してあります。どれも本当に素敵な曲で、ピアノで弾くと原曲とまた違った一面を見せてくれます。編曲もかなり気合入れて作りましたので、「フランク大好きだ!『プレリュード、コラール&フーガ』『プレリュードアリア&フィナーレ』だけじゃ物足りない、室内楽やコンチェルトピースも良いけど、ソロでももっと弾きたい!」というピアニストの方々にも、きっとご満足いただけると思います。

それぞれ、ピアノ曲事典に音源を載せてもらっていますので、試聴してみて下さい。

アンダンティーノFWV25
英雄的小品FWV37
交響的小品
交響的大曲(第1楽章 第2楽章 第3楽章
交響曲

編曲で大切にしたのは「フランクらしさ」と「ピアノ独奏らしさ」。「ちょっと弾いてみたんだけど、これ良い曲でしょ」というだけでなく(その手の編曲なら既に存在している曲もありますので、興味がある方は僕の編曲と比べてみて下さい)、ステージの上でピアノソロの曲としてプロの演奏家が弾いて恥ずかしくない作品に仕上げたつもりです。…とか書いてると、宣伝とは言え自信過剰だぞと言われそうですが(汗)、でも頑張ったんだもん、そのくらい言わせてくれぃ(笑)

ピアノ編曲で何が大変かと言うと、オルガンやオーケストラからピアノに楽器が変わると、原曲の音をそのままなぞって弾くだけではピアノ音楽として様にならない部分が山のように出てくること。そういうフレーズでは、もしフランク本人に「この曲どうしても弾きたいからピアノソロ版作って!」と頼んだら、どんな譜面を書いてくれるかなぁ、という妄想をフル回転させました。フランクの(オリジナルの)ピアノ曲の譜面をあっちこっちひっくり返しながら、参考にできそうなアイデアを見つけてきては試作を繰り返す、というのは、気が遠くなるような作業でしたが、すごく楽しい時間でもありました。

さて、僕の編曲について一通り紹介したところで、博士論文についても書いておきたいと思います。というか、編曲&編曲の手法やコンセプトがそのまま論文のメインテーマになっているので、詳しく話し出すと、ぶっちゃけ中身が一緒なんです。

なので、上記の編曲集にちょっとでも興味がある方は、楽譜だけで良いやと思わず、こっから先も是非読んで行って下さい(笑)

以下、裏話的博士研究要旨
※正式な要旨は、藝大の博論紹介ページの内容・審査の要旨→音楽→平成26年度のところにありますので、併せてご覧下さい。そのうち論文全文も載せてもらえると思いますが、それまでは全文読みたい方はトップページのメールアドレスにお気軽にコンタクト下さい!※

★出発点
フランクにはまってしまった。

『プレリュード、コラール&フーガ』を弾いたのをきっかけに、学部卒試と音コンでは『プレリュードアリア&フィナーレ』をプログラムのメインに据え、修士学位審査では『プレリュード、コラール&フーガ』をメインにした。ABCフレッシュコンサートでは『交響的変奏曲』を大フィルと弾かせてもらった。でもまだ物足りない。もっと弾きたい。が、フランクは元々作品数が多くない上にピアノ曲は輪をかけて少ない。弾くものがない。いや、フランクは若いときピアニストだったから自演(≒腕自慢)用の曲が多少残ってたりもするんだけど、僕が惚れ込んでるのは円熟期の「重くて地味で渋い方のフランク」だから、何かが違う。そして、出来ないと言われるとますます弾きたくなるのが人間というもの。どっかにフランクのピアノ曲は転がってないのか!……しかし、ないものはない。ええい、この気持ち、どうしてくれるんだ。うおー!(謎の叫び)

……よし、作るか。
(なぜそうなる、という突っ込みは断じて受け付けないので悪しからず。)

★編曲のコンセプトその1(この辺りから博論第1章の内容です)
さて、作るからには自分の演奏会で弾きたい。つまり「とりあえず大譜表に音をうつしかえました」的な安直な編曲では話にならない。

そもそも、「フランク弾きたい衝動」を鎮めようと探し出したピアノ編曲に、『プレリュード、フーガ&ヴァリエーション』(デムス版・バウアー版が代表格かな?)以外、あんまり良いのがないのですよ(ちなみにこの曲は同声会新人演奏会と浜離宮朝日ホールでの安川記念リサイタルで弾きました)。『英雄的小品』のデュラン版とか、『交響曲』のメイソン版とか、僕みたいな「ピアノの弾けるフランク好き」が試奏して個人的に楽しんでる分には良いんだけど、残念ながらステージに上げられるほどの力の入った編曲じゃないんだよね。だから尚更、作るしかなくなったというわけ。

よって、クオリティの目標設定としては、交響曲はベートーヴェン=リスト、オルガンはバッハ=ブゾーニみたいな「名編曲」が自ずとモデルケースになる。あれっ、それって結構ハードル高くねえか?(←何を今更)

★ちょっと脱線:編曲ってこと自体について
まあ真面目な話、リストに関しては編曲のモデルケースという点でも、演奏家としての姿勢の点でも憧れるものがあったりする。この人、どうしても皆に聴いてほしいピアノ以外の曲があったら、すぐに編曲を作って自分のコンサートのプログラムに入れていくんだよね。リストのピアノリサイタルでは「リスト本人の新作を聴きに行ったらベートーヴェンの交響曲と衝撃の出会いをした」みたいなことが普通に起こってたわけで、そういうクリエイティブさを併せ持った「音楽の伝道師」みたいなコンセプトでの演奏活動って、「聴いてほしい!」っていうものすごい情熱がないと出来ることじゃない。だから僕は、シューベルトの歌曲とかオペラのパラフレーズとかも含めて、リストの編曲作品を「腕自慢用の薄っぺらいモノ」と安易に批判する気にはどうしてもなれない。やっぱりすごいんだよ、リストって。

そもそも「編曲モノ」って、「オリジナル曲」より低く見てる人が結構いる気がするんだけど、僕はそこからして「ちょっと待ってよ」と思うんだ。少し歴史の話をすると、フランクとかリストが音楽やってた時代には録音ってものがない。あっても普及はしてない。だから、大ホールでのお高いコンサートに行かなきゃ聴けないオーケストラの曲なんかは、家庭とか小さいサロンで気軽に聴けるように編曲した楽譜が沢山出回っていた。小編成の室内楽編曲なんかもあるけど、一番メジャーだったのがピアノ連弾(1台4手)。フランクのオケ作品も全部フランク自身が作った連弾版がある。

でもって、ピアノ版がある程度売れてくれないと、高価で買う人も少ないスコアは出版してもらえなかったりする。だから、作曲家本人が作った編曲は、たとえ本命がオケ版だとしても「オリジナルのピアノ連弾曲」と言って差支えないくらい気合が入ってることも珍しくないんだよね。

つまり、19世紀にはピアノ編曲が「音楽メディア」としての役割を担っていて、だからこそ、リストみたいに「音楽の伝道師」として活動するピアニストもいたわけだ。僕は、音楽を手軽に楽しむツールの変遷は「ピアノ(!)→レコード→CD→MP3」みたいに捉えたって良いくらいに思ってる。これって、ものすごくロマンがある話だと、いちピアノ好きとしては思うんだ。でもって、そのロマンは、歴史とか過去の遺物に対するロマンでは絶対にない。あっちゃいけない。交響曲は大ホールかCDでしか聴いちゃいけないなんて誰が決めた?町の小さなピアノサロンで交響曲をライヴ演奏で聴いたって良いじゃないか。そんな選択肢が「現在進行形のロマン」としてあった方が、ずっと楽しいじゃないか。僕はそう信じてる。

おっと熱くなりすぎた。フランクの話に戻りますね。

★脱線終了:編曲のコンセプトその2
ここまで言ってきたような、曲の魅力を伝えるぞ!ってのと並んで、編曲にはもう一つの目標がある。せっかく作るからには、思いっきり「フランクっぽい」ものにしたいじゃないか、ということ。フランクは、曲を作るに当たってのピアノっていう楽器の扱い方自体が独特で、僕はそこも含めて「フランクのピアノ音楽」惹かれてるから、是非とも「フランク的ピアノ書法」ってやつを僕が作る編曲の譜面にコピペしたいのですよ。ということで、このページ最初の宣伝に書いた「妄想」が始動したのでした。めでたしめでたし。(ここまで第1章)

★分析(第2章)
さて、書法を真似するからには分析は必須。試しに高音と低音の使用頻度を数値化してみると、フランクは他の作曲家に比べて使用音域が狭く、かつ低音に偏っていることが分かった。そりゃ地味なわけだ(←褒め言葉です)。あと、右手と左手の距離感がものすごく近いのも特徴。というか、近すぎて動きが干渉して弾きにくいんですけど(これも数値化して証明してます)。あ、ちなみに僕の編曲ではそういう「フランク特有の弾きにくさ」は全く回避してません。買う人がいなくなりそうなのであんまり書きたくないけど、特に『交響曲』はミュッセの難易度分類「最上級」のさらに上に「鬼」ってのがあったら迷わずそっちに登録します(汗)。だって「弾きやすいフランク」とか、つまんないでしょ?(再び汗)……というわけで、興味がある方は覚悟して買って下さいね(引き攣った笑顔)。

★編曲(第3章)
ここが論文のメイン、すなわち楽しい楽しい妄想タイム。詳しくはページ最初の商品説明をご覧下さい。いや、大事な部分は最初に書いておいたほうが良いでしょ?決して改めて長々書くのが面倒臭くなってきたわけでは(以下略

ちなみに、この解説編には、オリジナルのピアノ曲(交響詩のピアノ4手版とかも含む)のどこからアイデアを借りたか、とか、なぜ原曲の配置でも弾ける和音、例えばオルガンなら4フィート管とか16フィート管の音も左右の手にうまく配分すれば全部拾える、みたいなケースでもわざわざ音を抜いたり、逆に増やしたりしたのか、みたいな、妄想の基本情報(?)はもちろんのこと、僕の編曲・演奏の力量ではどうしても上手くいかずボツにしたアイデアなんかもちょくちょく載せてあるので、書いてある問題点をクリアできる方がいたら僕なりの決定稿以外のヴァージョンでの演奏も歓迎…というかこっそり教えていただけると嬉しいです。

★検証(第4章)
論文の中で、オリジナル曲に対してやった分析を自分の編曲でもやり、見事に数値が一致→ドヤァ!…と格好良く決めるつもりが、出てきた数字が結構ずれていて言訳集みたいになってしまったという(汗)。まあ元がピアノ曲じゃない以上、本家フランクのピアノ書法をコピペしたくてもどうしようもないところがポツポツあるわけで。そういうところでの細かな妥協(≒数値より音、理屈より直観を優先した部分)の積み重ねが、数字の上では結構なダメージになってしまったんですよね。特に『交響曲』終楽章の「奏者の運動量」がフランク本人の数値よりかなり高い……つまり弾くのが大変すぎるというわけですね(滝のような汗)。

まあ結局何が言いたいかというと、音楽は理屈じゃねぇ!ってことです。(←ちょっと待てぃ)

★まとめ(終章)
「フランクも、ピアノも、ピアノ編曲も大好きだー!」と叫んで論文を締め括る部分。個人的には、ピアノを弾く人は、一度はピアノの譜面を、それも演奏会で弾くつもりの本気のやつを、編曲でも自作曲でも良いから作ってみた方が良いと思う。いやホントに。

…ということで、最後の方若干文章が雑になった気がしないでもありませんが(苦笑)、宣伝兼紹介でした。僕のフランク愛の結晶を、よろしくお願いいたします!!

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