雑談2007

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2008年の雑談

★山田耕筰の「スクリャービンに捧ぐる曲」が結構気に入っている。2曲セットで5分ちょっとの小品で、音づかいに関してはスクリャービンの中期後半あたりに近い(「捧げる」って言ってんだから当然か…)のだが、音そのものよりも、音と音の間(あいだ)を中心に音楽を組み立ててる感じで、ピアノの音の減衰をとても大事にしている。もっと時代が下った武満なんかでもそうだけど、「間(ま)」を大切にするあたり、やっぱり日本人なんだな、と。山田と武満なんて、全くつながりがないし、音の扱いについても、ピアノのオリジナル作品に限って言えば、二人とも特に「日本」にこだわってるとも思えない。にもかかわらず、弾いてみるとどこか近いものを感じる…「民族性」って不思議なものなんだな、と改めて思ったのでした。

★お騒がせ朝青龍について一言。(…、騒動から随分経っちゃってますが、あんまりHP更新できてなかったので溜まってた分、ということで…)まあ本人の失態については後回しにして、どうもTVのニュースとかで見てると、コメンテーターの方があんまり考えないで発言してる(良く言えば、番組の編集意図に沿った発言、ってことなんでしょうけど…)ような気がして仕方がない。

例えば、もし「特集」コーナーで、「精神疾患の実態〜ストレス社会の中で」なんてものがあったとする。でもって、病気を経験した人の体験談で、「体は何ともないものだから、周りから仮病だとか言われたりして辛かった」という言葉が出てきたとする。こんなとき、ドキュメンタリー終了後、どんな言葉がスタジオで交わされるだろうか。恐らく、「周囲の理解」や「正しい知識」の重要性について念を押すはずだ。

さて、これが「朝青龍問題」の特集の後だとどうなるだろうか。「周囲の理解」は実践されていただろうか?有名人を批判するのは簡単な事だが、もし先の「精神疾患特集」のケースを想定した場合、朝青龍を「口撃」する立場の面々の中に、自身の発言にひそむ矛盾を、感情論でなくきちんと説明できる人がどれくらいいるのだろうか…。そもそもの始まりが自業自得とは言え、その後の精神疾患に関する限りにおいては、「風邪をこじらせた」原因はメディアにもあるのではないかと思う。

僕は何も、朝青龍の肩を持つわけではない。結果的にであれ、「横綱」の品格に傷を付けた責任は、重い。以前からちょくちょく問題を起こしてはいたが、やはり行動が軽率なことが多いのは頂けない。ただし、事の発端のサッカーについては、僕は怪我が仮病だったとは思わないし、あの程度で怪我の治りに影響するとも思えない。何しろ、「プロとしてやっている」相撲と違って、「体のリミッター」を外すスイッチが(無意識に)入ってしまう、なんてことはないわけだし、動きが良い、なんていうのも、元々俊敏性を売りにしている力士なのだから、いくら怪我をかばいながら気楽にやってても、あの程度の動きは出来ない方がおかしい。でもやっぱり、巡業サボって無許可でやったらマズいっしょ、ということ。

どうにもまとまりのない意見になっちゃいましたが、まあ、何はともあれ今後に期待、ってところでしょうか。(何じゃそりゃ)

★F1はオフシーズン。ってことで「F検問題集」をパラパラと眺めていたのだが、仰天情報!今年スパイカー(来年は「フォース・インディア」に改名予定)に乗ってたエイドリアン・スーティルの父親は、何とミュンヘン・フィルでファーストヴァイオリンを弾いてるのだそうで、エイドリアン自身も元々はピアニスト志望だったらしい。…ウーム、スーティルのピアノ、聴いてみたい…。日本GPのイベントか何かで弾いてくれたりしないかな、と、ちょっと期待。ただし、来年もF1に居れたらの話だけど…。←結構際どいんだよな〜これが。(僕にとって、「本職」のピアノとF1とが初めてつながった瞬間だったので、かなり感動。まあ、要するにどっちもヨーロッパの文化、ってことなんだけど。)

★修士リサイタルを音楽環境創造科修士2年の山田哲広さん(通称「山ちゃん」)に録音してもらったのだが、そのクオリティの高さに感動!細かい音色の変化をほぼ完全に捉えているし、何より、マイクを通した音に特有の「冷たさ」がほとんど感じられず、技術者としての「音」に対する真摯な姿勢が伝わってくる。録音において、優秀なエンジニアの存在がこれほどのものとは…。最近は、「プロ」のエンジニアが手がけているはずの市販のCDでも、無神経な録り方をしているのか、音の「雰囲気」が死んでしまっているものが多い気がする。顔見知りの思い入れかもしれないけれど、彼のような「音楽を愛する技術者」の存在は、本当に大切なんだと思う。(ちょっと持ち上げすぎカナ?でも本当によく録れてたんですよね…)

★大学院の授業で、フランクの交響詩の4手版(もちろん本人編曲)の楽譜を大英図書館から取り寄せた。コピーをCDで送ってもらったのだが、そのCDをうちのパソコンに入れるときのワクワク感はなかなか味わえるものじゃない。いやー、普通にはまず持ってる人のいない楽譜を読むのって、気分良いもんですね。曲もよく出来てるし、もっと弾く人がいてもいいような気もするんですがね…。まあ僕が「フランクびいき」なんでしょうけど。

★この夏にロビーコンサートでやった企画について補足したい。シューマンのコンチェルトピ−ス「序奏と協奏的アレグロ」の第2主題と三木露風/山田耕筰の「赤とんぼ」がソックリ!という内容で、不思議なこともあるもんだ、てな調子で喋ったのだが、これは、いらぬ誤解を避けるためで、実は、僕自身としては、この2曲の類似は偶然だとは思っていない。

あくまで推測でしかないが、恐らく山田耕筰は、三木露風の「赤とんぼ」の詩を見て、「あ、シューマンのあの曲だ!」と閃いたのではなかろうか。言うまでもなく、この抜群のセンスを持っている人間はそういない。また、山田が日本人の心とドイツで身につけたクラシックの感性の両方を持っていたからこそ、シューマンの第2主題前半が「アジア的」なペンタトニックになっていることを(感覚として)見抜けたのであろう。まさに才能と努力の賜物であり、これは賞賛に値する。

でもって、もちろん「原曲」そのままで歌詞に合うわけがないので、相当な「創り変え」がされているのだが、これがまた天才的。まず4拍子を3拍子に、後半をペンタトニックからはみ出さない新たな旋律に、そして最初の音を低く。言葉との「すり合わせ」の何と絶妙なことか。メロディーメーカーの才能を持つ山田からすれば、一から作曲するよりも「あの曲の雰囲気」と思いながら書く方が、むしろ大変だったかもしれない。

もっとも、山田ほどの作曲家なら、さらっと書いてしまった後に、「ン?どっかで聴いたような…まいっか」なんてことだった可能性もあるのだけれど。どちらにせよ、「赤とんぼ」が紛れもなく山田の「オリジナル作品」である、という事実は変わらないはずだ。

…さて、文章でならこのように順序だてて説明できるが、コンサートで、音での「聴き比べ」とこの”偶然じゃない”という解説を一緒にしてしまうと、似通った印象があまりに強く残るため、説明の後半を聞き流してしまって、「盗作だ!」と短絡的に受け取られてしまう危険性が無視できない。ましてや「通りすがりにちょっと聴いて行く」という人も多いロビーコンサート。途中だけ聞かれては「山田耕筰」の印象自体に影響しかねない。彼は素晴らしい作曲家だ、それだけは絶対に勘違いされたくなかった。信念を通さず、「日本歌曲とクラシックの接点」という核心部分で妥協した「事なかれトーク」…どうかお許し頂きたい。

★リストの「死の舞踏」(オケ&ピアノ)をやり始めた。どっかで聞いたことあるぞ…と記憶をたどってみると…、思い出した、マジシャンのDr.レオンヒロ・サカイと同一人物です)がテーマ曲に使ってたではないか!確か、ピアノの最後のカデンツァの直後がクライマックスの現象と同時に鳴っていたはずだ。ピッコロか何かだと思ってた音は、ピアノのグリッサンドだったんですね。(耳、悪っ)

ちなみに、Dr.レオンの演技について。現象や演出、トリック等のアイデアはもちろん素晴らしいと思うのだが、若干「仕上げ」が荒い気がする。シークレットムーブがMr.マリックほど自然になってない。タネが分かるというわけではないが、ある程度知識のある人が見ると「んっ?」と思ってしまうであろう場面がチラホラ…。ライヴでは絶対目線が行かないところでも、テレビだと映りこんでしまうことがあるので、マジシャンにとっては辛いところなんでしょうけど…(ちょっと辛口)

★ロシアンピアノスクールin東京(主催はカワイ)を受講している。…のだが、カワイのタッチに手こずっている。どうも僕の音作りは普段弾いているヤマハに特化してしまっている部分があるようで、音色の種類が練習よりどうしても少なくなってしまう。レッスンでもその点を指摘されるのだが、帰って来て自宅のピアノで弾いてみると「なんだ、変化付くじゃん」って(笑)。もうだいぶ慣れてきて、ちょっとはマシになってきましたけどね。

★先日、元音楽教師で声楽の祖母(喜多園子)、次いでソプラノの叔母(三浦仁美)と共演する機会があった。それは良いとして、この2回とも、苦労して準備したショパンエチュードよりも、前日に「アレ、2番の歌詞ってどうなってたっけ?」とか言ってた日本歌曲の方がずっと受けが良い。やっぱり肉声&歌詞(言葉)の力はすごいなあ、と思いつつ、つくづくピアノが損な楽器だということを再確認したのでした。

★フランクの「プレリュード、フーガ&ヴァリエーション」(←オルガン曲)のピアノ編曲を、デムス版を基に新しく作っている。自宅のピアノでは大体出来上がっているが、師匠の角野先生いわく、ベストのアレンジは使うピアノによっても変わってくるので注意、とのこと。確かに2箇所ほど楽器が変わるとどうだろう、というところはあるんだよな…。一度、学校のピアノでも試してみた方が良さそうだ。

★シューベルトの18番のソナタ(G-dur)の終楽章が弾けない。…というか、どうにも弾きにくい。恐らく、鍵盤上の実際的な問題は全く考えないで書いてある。シューベルトの場合、こういうことは他の曲でも色々あるのだけれど、今更ながら、どうしてこの人はいつもこう…。イヤ、まあそこが良いところでもあるんですけどね。

★久しぶりにショパンエチュードを弾いているのだが、Op.10-11のエキエル版を見てびっくり。最後が上に上がらない!…確かに上がっちゃうと最後の2つの和音の意味が希薄になるから、やっぱり下なんだろうな…。でも、ショパンもどうせ下がるんなら3拍目の裏、ドミナントにすりゃ良いのに…なんて思ってみたりもする。うーむ、楽譜見てない人にはこの驚きが伝わらないんだよな…

★先日、クラシックを聴き慣れたお客さんが半分もいるかどうか、という状況でスクリャービンの後期のソナタ(9番・もちろん無調)を弾いた。さすがに最初は「クラシックの演奏会」に比べるとざわつきのトーンが高かったが(曲も曲ですしね…)、「聴いてて思わず息を詰めてしまうような間合い」を多用して、とにかく「語りかける」ことに集中したら、休符の度に静けさが深くなっていった。難解と言われる作品でも、良い演奏さえ出来れば伝わってくれるんだな、と感動的な体験であった。以上、数少ない成功談(=自慢話)でした。いつも安定してあれくらい弾けたら苦労しないんだけどなぁ…(悩)

★某オーディションで演奏後、ステージに上がってから弾き始めるまでが長すぎるとの批判を受けた。曰く、自分だけでなく客席にまで緊張を強いるのはいかがなものか、と。ささやかながら、反論(言い訳?)をしたい。

確かにかなり時間がかかったこと、お客さんや審査員を待たせてしまったことは認める。しかし、これはソロリサイタルではない。従って、椅子の微妙な調整は前もって済ませてはおけない。本来であれば、最低でも1分くらいは欲しい作業である。あれでも妥協しているのだ。

次に、鍵盤上のゴミを払っていたこと。実際に演奏の邪魔になることは少なく、むしろ精神的なものなのだが、極度の緊張状態で指先の微妙なコントロールを要求される状況で指と鍵盤の間に異物がはさまってしまったあのイヤな感覚は、忘れろと言って忘れられるものではない。実際、小さなホコリを避けようとして演奏に破綻をきたしてしまった経験もある。僕だって無駄な時間は使いたくないが、これだけは勘弁して欲しい。

もう一つ、このとき時間のかかった要因として、リハーサルの結果、弾き始めのピアニッシモのためにウナ・コルダを浅く踏む、という選択をしたこと。このペダルを踏む深さと音色の関係は楽器ごとに異なるため、リハーサルで見つけた「ここだ!」という一点に足を止めるためには、どうしても時間が必要だったのである。

最後に、緊張感だが、今言ったように1曲目の最初はピアニッシモ。しかも、僕はむしろ、間違ってもその区間をリラックスして気楽には聴いてほしくないと思っていた。ステージ上での僕は、もっと張り詰めた静寂を待ちたいとさえ感じていたくらいなのである。

確かに人を待たせるのも良くないけれど、きちんと準備できていない状態で弾き始めて納得のいかない演奏を聴かせる方がよほど失礼だと僕は思うのだが、どうだろうか。もちろん、曲間の時間とかも含めてプログラム全体を組み立てていかないといけないリサイタルだったら、事情は全く違うと思うけれど…。

★HTMLのコーディングって、結構面倒かも。バグ出るし。原理は割と単純だとは思うけど。ちなみにこの僕のページ、芸大の授業の延長上で作り始め(「トップページのデザイン」が課題)、細部を仕上げたモノ。「HTMLって何ぞや?」状態から前期だけ・週1回の授業でここまで来たのは結構ガンバってると思いません?(08年注:)…まあそんなわけで、トップページでも断ってますが、ブラウザによっては結構見苦しいバグが出てる可能性があるわけです。お許しを。…って、基礎を習っただけで全部自分で書こう、ってのがマズいんじゃ…。ま、作っちゃったものはしょうがないってことで(オイオイ)。

ちなみに、授業をやってたのは、「allianceport」の山辺真幸(先生)。プロをもってしても、細かいバグへの対処はやはり「経験と勘」なのだそうだ。