歴史を斬る@ 〜バロックからクラシックへ〜

架空対談:バッハvsシャイベ

収録:2008年2月某日

会場:天国(?)

進行:喜多宏丞(自分の妄想につき、責任を持って仕切らせて頂きます。←いいのか?以下K)

注)登場する歴史上の人物の言葉は、その当時ではなく「現在」のものであり、自らの死後の歴史の展開についても把握した上で語っておられます。あと、ドイツ人が日本語喋ってるとか、細かいことは気にしないで下さい。

↓それでは、対談スタート!↓

K:今回は、今や西洋音楽史を語る上で絶対に欠くことのできない作曲家、ヨハン・セバスチャン・バッハさん、そして、元々その「大バッハ」の弟子でありながら師匠を公然と批判し物議を醸した、ヨハン・アドルフ・シャイベさんにお越しいただきました。お2人とも、どうぞよろしくお願い致します。

ヨハン・アドルフ・シャイベ(以下S):よろしくお願いします…って、何ですか、その紹介は(笑)。めちゃめちゃ悪役じゃないですか。

ヨハン・セバスチャン・バッハ(以下B):まあ仕方ないんじゃない、私の方が有名になっちゃったんだし(苦笑)。シャイベ君だって、私の作風に文句つけてなきゃ、今日だって呼ばれてないでしょ?歴史って怖いよね、明らかにシャイベ君の方が、次の時代を見て物言ってたのに。あ、バッハです、よろしく。

S:…うーん、それはどうでしょうかね。確かにバッハさんの「音楽作り」そのものは古いやり方だったとは思いますけど、器楽重視、って意味では時代をかなり先取りしてるわけですからね…。まあどっちにしても、「その時代のもの」じゃないってことだけは言えてますから、そこら辺が私らにとっては突飛に写ったわけですけど。

K:作曲技法的には、「バロックまで」の技術の可能性を極限まで引き出したのがバッハさんだった、と僕は思っています。その結果として、音の組み立て以外の部分では進歩的なことをしないと「音」が曲に付いてこれない、というか…。

S:要は、難しすぎたんですよ、我々には。

B:そんなにひがまなくても…。

S:いやいや、そういう意味じゃなくて、例えば私にしても、「技巧の過剰は曲の美を曇らせる」なんてことを言ってたんですが、バッハさんの域まで行けば、音楽作りの技巧そのものが「美」になり得る。私らには、そこが見えてなかったんですね。

B:まあ確かに、私の曲から技法を取ったら何も残りませんからね(笑)。

K:何も残らないんじゃ、名前が歴史に残ってませんよ(笑)。大体、バッハさんの曲って、和声とかを含めた全体から見たら、相当ドラマチックなことをやってるんですから。

B:…そのせいで、教会からは散々文句言われましたけどね。私としては普通に作曲しただけのつもりだったんですけど…。それも、従来どおり、型どおりの書き方で。

K:それが才能ってものなんでしょうね。その辺が、バッハさんが「大バッハ」たる所以だと思います。やってること一つ一つは全部技術的に説明できるのに、曲全体になると、それを超えたものが表現されている、というのはやっぱり「天才」にしか出来ないんじゃないですかね…。あのドラマとあの書法は、両立しませんよ、普通。

B:そう言ってもらえると嬉しいんですけどね。ただ当時は、そうは思ってくれない人が多かった。特に教養のある知識人には。

S:例えば、私。

B:そうそう。教会の石頭連中とは別の意味で、ですけど。「自然に」って考え方は、ちゃんと定着したわけだから、シャイベ君の場合は、歴史的に見ても一理ある意見だったわけで。

S:批判を向けた矛先がまずかったですけどね。「主要旋律が判別できない」って言ったって…

B:対位法で作曲してんだから、当たり前じゃん、ってね。

S:その通り。でも、私が言ってたことも9割方は当たってると思うんですよ。聴きやすさ・分かりやすさの点では、同世代の中でもバッハさんを上回ってる作曲家は山のようにいたわけですし、時代がより自然な美しさを求め始めていた中では、バッハさんの「凝った」作曲法は明らかに異質でしたから。問題は、時代に合ってるとか作曲法がどうとかを超越した、とんでもない才能の持ち主を相手にしちゃったことですね。

K:確かに、僕が演奏会のプログラムを考えるときでも、気軽さや聴きやすさを前面に出して通りすがりの人にでも聴いてもらえるように、ということになると、「これぞバッハ」というような複雑に入り組んだ対位法が魅力の作品は、なかなかプログラムに入れにくいですからね…。

B:客観的に見れば、シャイベ君の言ってたことって、私の曲の特徴をかなりよく捉えてるんだよね、「だからダメだ」って部分は別にして(笑)。まあ、私もそれ一辺倒なわけじゃないから、聴きやすさ重視の曲も書いてたけどね。確か2年くらいして、和解の意味も含めて「良い曲だ」って言ってくれたのは…

S:『イタリア協奏曲』。私の意見と一致する曲もバッハは書いてるんだよ、と。ただ、とんでもなく高い演奏技術が要求されるあたりとかは、完全に納得してたわけじゃないですけど。

K:僕も、苦労してます。

B:それは、今のピアノの鍵盤が重すぎるんだよ。ストロークも長いし。ホールが大きくなっちゃって音量がいるから、仕方ないんだろうけど。

K:…すみません。ところで、19世紀には、リストも同じような批判を受けてますよね、技巧ばかりで内容がない、って。

S:リストの曲だって、あのパッセージを「難しい」と思わない人にとっては、めちゃくちゃ良い曲なんですよ。本人がとんでもなく弾ける人の曲って、勘違いされやすいんですよね、自分が「弾ける」ことをアピ−ルしようとしてる、って。まあ、私がその勘違いの代表格みたいなものですけど(笑)。

B:私の場合は、演奏技術というより、作曲技術ですけどね。

S:フーガを即興で弾いといて、何を言ってるんですか。私らの時代で、クラヴィーア(注:鍵盤楽器の総称。オルガン、チェンバロ等。)をあれほど弾けた人って…

B:結構いるよ、ブクステフーデとか。

S:どっちにしろ、私の嫌いなタイプだ(苦笑)。まあ、作曲自体、鍵盤に向かってするものじゃなかったのは確かだけど、それでも無関係じゃあないでしょう、特にバッハさんなんかは。「弾ければ書ける」みたいな。
注)シャイベは、ブクステフーデは攻撃していません。

B:確かにそういうところもあったかもね。…やっぱり鍵盤って便利なんだよね、響きを把握するのに。色んな声部をいっぺんに弾けるしさ。

S:「鍵盤」ってのは、クラシック音楽最大の発明でしょうね。いくら、「自然」こそ音楽の命だ!って言ってみたところで、そもそも「調性」っていう体系自体、鍵盤にかなり依存して発展したものですからね。オクターヴの分割に12音って制限があったり、長調短調なんて言ってる時点で既に、全く自然なものってわけではなくなってるんです。それに、私が当時支持してた様式にだって鍵盤楽器の存在は不可欠ですし、バッハさんみたいに、即興で色々できる音楽家にとっては、クラヴィーアの演奏技術と作曲技術なんてのは、切り離せるものじゃなかったでしょうし。

B:…生きてた時と、随分言ってることが違うな。

S:そりゃそうですよ、200年以上経ってんですから。バッハさんこそ、あのときは相当熱く反論してたじゃないですか。

B:評論家を通してだけどね。あ、君の批判も、一応私の名前は伏せてたのか。お互い大変だったよね、立場ってものがあるから。

S:まあ歴史の中で見れば、時代の変わり目によくある論争、ってことで良いんじゃないですか。どっちかだけが正しい、なんてのは音楽ではあり得ないわけですし。

B:同感。

K:ちなみに、シャイベさんの主張している「自然」という点では、「理論の通用しない天才」の代表格、モーツァルトなんかは、シャイベさんの理想としていた音楽家像に近いんじゃないですか?

S:うーん、でも人格的にねぇ…。まあ、直接顔見知りじゃなくて、演奏とか楽譜だけで接してたら、「コイツだ!」って言ってたでしょうね。もう少し後なら、シューベルトも近いタイプかな。
(注)シャイベとモーツァルトが会ったことはありません。

B:みんな早死にだな…。

S:むしろ、バッハさんみたいに、理屈の面でも頑張った人の方が長生きしてますよね。

B:レーガー(注:ロマン後期の作曲家)は?私のこと気に入ってたみたいだし、結構技法重視なところもあると思うけど。

S:あれだけ暴飲暴食してたらしゃあないでしょう。

B:…私も人のことは言えませんけどね。結局肝臓壊して死んでるわけですから。(←注:あくまで推測です)

K:レーガーの異常な食欲は糖尿病のせい、という見方もあるみたいですよ。T型だったとしたら、むしろ不可抗力ですよね。どちらにせよ、僕ら後世の音楽家からすれば、彼らがもっと長生きしてくれていたら、と思うと残念でなりません。まあ、歴史に残ってる作曲家には、多かれ少なかれそういうところはありますが…、バッハさんにしても。

B:ヤブ医者の悪徳商法に引っかかって、ニセ手術で目を潰されたこと?

K:そうです。あれがなければ、『フーガの技法』とか、絶対完成してたでしょう。少なくとも「BACH」の下りまでは。ヘンデルも同じ偽医者に目をやられたでしょう、まったく良い仕事してくれますよ。

B:まあ、あれは酷いわな。見事に引っかかった私が言うのも何だけど。

S:でも、人生に何らかの「悲劇」があることって、音楽家の評価に関してはプラスにはたらく気がするんです。伝記的にも、困難に負けず作曲を…てな感じで、感情移入しやすくなると思うんですよね。あと、本人にとっては災難でも、そのことで音楽に深みが増すこともあるでしょうし。

K:確かにそうかもしれないですね。長生きしたモーツァルトって、あんまりイメージできませんから…。

B:私も災難続きでしたよ(苦笑)。転職しようとしたら、雇い主に監禁されちゃうし。

S:私らの時代の後も、しばらくは音楽家がパトロンの顔色を見なきゃいけない状態は続きますからね。蹴っ飛ばしてフリーになったらモーツァルトみたいになっちゃうわけだし…。苦労した人は多いでしょう。

K:歴史に名前が残ってる人と同等の才能がありながら、チャンスがなかったために埋もれてしまった人はたくさんいると思います。まずはお金のある人に出会って、気に入られることが条件、というのは厳しいですよね。…まあ、今も似たようなものですけど。

S:逆に、そこまでの才能はないのに、なぜか大活躍しちゃう人もいる。まあそういう人は、歴史的には結局埋もれちゃうんでしょうけど。

B:まあ、結局はやれることをやるしかないんでしょう、我々としては。私の場合、代々音楽家のバッハ家に生まれたことが最大の幸運でしょうね。でなければ、音楽の道に入っていたかどうかすら怪しい。

K:やれることを、ですか…。まあ僕も、特に才能があるわけでもないですし、それほど有名人にもなれないでしょうけど、音楽界を底辺からでも支えていけるよう、頑張りましょうかね。

S:底辺って…、もうちょっと上には行けるんじゃない?歴史に残るまではいかなくても、同世代の中では、とか。

K:無理です。←即答


◆架空対談は以上です(変なオチですみません…)。当時の時代の流れとしては、シャイベのような考え方が主流でしたが、大バッハの功績があまりに大きかったため、後世の歴史家はどうしても音楽史を「バッハを頂点として」創りたがるようです。しかし、同世代の才能ある音楽家の中では、彼はむしろ「特異な」存在であり、音楽界全体としては、既に別の方向(天才美学の時代)へと走り出していたことを忘れるべきではないでしょう。

創作の資料として、シャイベのバッハ批判(の一部)を以下に書いておきます。上でも触れましたが、一応「バッハ」という実名は出してないんですね。↓

「この偉大な人物は、もし彼がもっと快さを身につけていて、ごてごてした入り組んだものによって曲から自然さを奪うのでなければ、また技巧の過剰によって曲の美を曇らせるのでなければ、すべての国民の感嘆の的となることだろう。彼は自分の指を判断の基準とするので、彼の曲は、きわめて演奏が難しい。なぜなら彼は、歌手と楽器奏者たちに、のどと楽器によって、自分がクラヴィーアで演奏できるのと全く同じことをさせようとするからである。だが、そんなことは、できるはずがない。すべての装飾、すべての小さな装飾音、また演奏者がどう弾くべきか心得ているところまですべて、彼は自分で楽譜に書き表す。これによって曲から和声の美が奪われるばかりでなく、節まわしがまったく聴き取れなくなってしまう。また彼は、すべての声部をともども、同じ難度をもって活用しようとするので、そこではもう、主要声部を判別することができない。要するに彼は、詩人フォン・ローエンシュタイン氏の音楽版とでもいうべき人物である。誇張癖が、二人を自然から技巧へ、崇高から暗闇へと導いていった。たしかに、二人の労をいとわぬ仕事や並々ならぬ骨折りは、感嘆に値する。だがそれは、自然に背いているのであるから、実際には何にもならないのである。」

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