「楽譜通り」と「個性」

こで言う「楽譜通り」とは、作曲家の意図に最も忠実と思われるように弾く、ということである。アナリーゼや知識を駆使して注意深く楽譜を読めば、大抵の「中身」は書いてあるはずだ。(それを全部読み取るのは至難の業だけれど…。)

そしてその通りにさえ弾けば、それだけでその奏者の持ち味は十二分に発揮されるはずなのだ。(同じものを他人が表現して、同じになるはずがない!)また、公の場での演奏は、そういった研究成果の発表の場でもあると僕は思っている。もちろん弾く目的は音楽を楽しんでもらうことであって単なる「発表」などではないけれど、ろくに勉強もせずに良い演奏など出来るわけもないので、人前で弾く以上はどのみち研究発表の意味合いも入ってくるんじゃないか、ということ。「その作品を知り尽くしているからこそ発揮される即興性」こそが、僕の目標なのである。

…なんて言やぁ格好は良いんだが、まずは自分の思った通りの音を(強さ・タイミング・音色など)正確に出せないとこういった次元には進めない。何かと不器用な僕ではいつになることやら…、トホホ。

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