動作は音楽になる

ラシック音楽の世界では、音を出すために必要のない動作は、音色や音楽そのものに悪影響を及ぼすため排除すべし、という考え方が一般的である。しかし僕は、特にピアノ音楽に関しては必ずしもそうではないと思っていて、この考え方とは微妙に異なる立場をとっている(…いや、ホントは異ならないはずなんですけどね…)。つまり、演奏動作と音楽の間合いとは不可分(詳説ページ)なのだから単純に「動くな!」で済ませちゃイカン、と思っているわけで、単に「音を出す」ためだけなら不要な動作でも「音色を作る・音楽の流れを作る(つまり音じゃなく音楽を奏でる)」ためには是非とも必要、というケースだってあるはずじゃないか、というのが僕の意見。ただ、この考え方せいで、たまに損したりもするのである…。

というのも、僕自身、「動作でもって間合いをとる」という考え方に基づいた奏法で弾いているためか、演奏動作がどうしても大袈裟に見えるらしく、時々、音のためにやっている、ということを理解してくれない人に「パフォーマンスをするな!」と言われて結構ヘコんだりするのである…。(何しろ、僕的には「音楽にとって不要な」ことは一切していないのだから。)とは言え、たとえある種の先入観のようなものがはたらいているにしても、ある動作が「邪魔」と感じる人が一人でもいるということは、僕がその動きによって狙った効果が充分な説得力でもって音に反映されていない証拠でもある。つまり、ここまで書いてきたような変な言い訳をする前にもっとちゃんと勉強しろ、ということ。なかなか辛いところである。

関連ページ:演奏動作と音楽の不可分性についてさる腕(僕の体格)について
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