影響を受けた方々

「師事者」に戻る

御木本澄子先生

「御木本メソード」は有名であるが、このメソードの主眼は、鍵盤が底に到達した際の衝撃に最低限持ちこたえられるだけの指の力をつけることと、肩から指先にいたる各関節の動きを「それぞれ」コントロールできるようにし、余計な筋肉を収縮させないようにすること(これが難しい!が、これが出来てなかったために手を壊したピアニストが何人いることか…例えばスクリャービンとか)。その上で、各自が自分に最も適した奏法を探求する、というのが概要だと僕は理解している。著書「正しいピアノ奏法」にもかなり詳しく解説されているが、僕自身、高校時代に何度かご本人に直接見て(診て?)いただく機会もあった。「タッチを各関節の動きに分解して考える」という発想をこの時に得ていたおかげで、ビデオで名ピアニストの映像を見たり、ピアノ奏法の本を読み漁ったりするときに、非常にスムーズに自分の奏法を探求していける。個人的には、「御木本澄子」こそ、偉大なトバイアス・マテイ(下で詳しく書きます)の功績を最も正当に受け継いで発展させた「後継者」と呼ぶに相応しいのではないか、と思っている。

アルバート・ロト先生

体の使い方・鍵盤の扱い方について非常に論理的で洗練された、独自の方法論を持っている。そう何度も見て頂いたわけではないのだが、講習会や公開レッスンなどの限られた回数でも非常に多くのものを得られる、というか、毎回必ずそれまでの僕の中の常識を覆す発見がレッスン中にあったのである。ピアニストとしては「シンギング・トーン」と呼ばれる独特の音色で有名だが、そこには理論のほぼ完璧な裏づけがあるように思われ(もちろん理論を全部聞いたわけではないが)、原理・原則へのこだわりも人一倍であるように感じられる(言いかけたことは最後まで説明しきらないと気が済まないようで、これもレッスンを受ける側としては非常に有難いことであった)。

トバイアス・マテイ(1858-1945)

ピアノの演奏における「タッチ」についてとことん研究した人物。「ブライトハウプト派」と「ハイフィンガー奏法派」の論争の中で、2つの奏法がどの筋肉を重点的に使うかの割合の違いでしかないことを見抜き、求める音の性格による使い分けを提唱した功績は非常に大きい。しかし研究の集大成とも言える論文「タッチの動作(The Act Of Touch)」の複雑怪奇な弁証法(当然日本語訳もないので、僕も読めていない)のせいで、その真価が理解されるまでには相当な時間を要したようだ。日本語訳が出ている著作(つまり僕が読んだモノ)は、「ピアノ演奏の根本原理」「ピアノ演奏弛緩の技法」など。前者は、鍵盤とハンマーが切り離された後はいくら鍵盤の動かし方を変えても音には反映されない、つまり鍵盤の底めがけての打鍵はナンセンスである、ということに初めて気付かせてくれた一冊。(考えりゃ分かることなんですけどね…目にウロコが入ってたわけですな)

ジョルジ・シャンドール(1912-)

著書「シャンドールピアノ教本(On Piano Playing)」で。僕とは若干意見が食い違う部分もあるが、得るものの方がはるかに多い。僕の「演奏動作と音楽」に関する考え方は、明らかに彼の影響を受けている。最も共感できるのが、より多くの筋肉が少しずつ協力することで特定の箇所への過剰な負担を軽減する、という発想。シャンドールが解説しているのは腕を動かす胴体側の筋肉までだが、僕は足腰まで全身全てを動員すべきだと思っている。(ただ、この発想で改良した奏法だと、確かに音は格段に良くなるが、よく腰が痛くなる。まあ奏法というよりは、どっちかというと基礎体力の問題の気もするが…)
また、表現のために込めるエネルギーを全て鍵盤にぶつけると大変なことになる場合、大きめの動作が「安全バルブ」ともなり得ることも認めている(もちろん、目障りにならない程度でのことだが)。


「師事者」に戻る
プロフィールに戻る